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フィレンツェ Firenzeの秋 


                  花の聖母 サンタ・マリア・デル・フイオーレ
                       Santa Maria del Fiore 


 フィレンツェの町は黄金色に染まっていました



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      ルネサンスが花開いた中世の町 フィレンツェの象徴である

            サンタ・マリア・デル・フィオーレ



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       まずドゥオモを訪れました


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ドゥオモ 


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   大円蓋と 最後の審判




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                ヴァザーリによるフレスコ画

    天国と地獄絵図が展開されていました
         (左下には審判者?キリストが)

        ” 花の聖母”とは裏腹に、厳しい裁きが


    
               

     天国だろうか?   平和な光景が
     しかし、その下では悪魔が待ち受けている

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  地獄?  おぞましい光景が



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     魑魅魍魎の世界が、、、



 そして平和な世界  

    


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      天井画は参拝者への戒めであるとともにメッセージであった  

  


     それにしても高い天井に描いた壁画。

     ため息が出る。  

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フィレンツェを歩いて来ました

                                


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   「君はフィレンツェを見たか?」
   
   Γ いや、見てなかった。あのドゥオーモ( サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)の
   影のように それは幻だった  」

  
   長い間、ウフィッツイ美術館やミケランジェロ作のダヴィデ像などごく一部を過去の数回
   
   の訪問で 覗いただけで、見た気になっていたイタリアのフィレンツェ。今回娘夫婦


   (パリ在住)の結婚記念日の招待での数日の滞在でやっと莫大な数の美術品のほんの

 
    一部を見ただけと 思い知らされました。


    (しばらく、 不定期でお送りします)



        

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パリ サント・ジュヌヴィエーヴの山周辺を歩く


    パリに着いて、まずはここを歩きました。


   「パリではローマ時代以前のオッピドウムであるルテティアがあった。セーヌの島が
    狭すぎるようになり、川の両側の対岸にそしてサント・ジュジュヌエーヴの山の
    一番高いところ、今日のパンテオンに至るまでの地域にローマ趣味の高級地域が
    成立したのであった」(エディット・エネン)(注1)


  いつものように、テュイルリ公園をスタート

  10月初めで秋の色が濃い



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    (シテ島が見える)中央の尖塔はサント・シャペル

 今回は右岸から歩いた



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 サンチャゴ巡礼の出発点 サンジャックの塔

 サンジャック巡礼には、サンジャック教会で
 洗礼を受けて出発したという(注1)。

 



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 カペー朝の王宮の跡

 現在は裁判所



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 ここでサンルイ島に渡る


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  (サンルイ島からみるノートルダム教会)

   (注) この地域(シテ島とセーヌ川の橋の左奥)にローマ人が住んでいた。この部分を
  今回主に歩きました。



  進んで左岸へ 


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    (フィリップ・オーギュストの城壁が残る)


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  (同上  フィリップ・オーギュストの城壁)


  

 ここでクロヴィス通りに入る

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  (クロヴィス王の塔)

 現在はアンリ四世高等学校の敷地


  

  ヴィエの勝利の後、クロヴィスは崇敬していた聖ジュヌヴィエーヴの

 墓の上に聖なる使徒に捧げるバシリカを建てることを決心した

 という(注2)この塔はその名残という。
 (この近くに彼は葬られているという)


  ここを訪れてクロヴィス 主なゆかりの地は大方訪ねたことになる


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    (左はサンテティエンヌ・デュ・モン教会)
  



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        (パンテオン)


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    パリ大学の近くだけに若い人たちの姿が多く見られた



 エネンは又(巻頭の言葉につづいて)次のように述べています。

「サント・ジュジュヌエーヴ山の起伏は円形劇場を建設することを可能にしていた。
 左岸には水が十分にあった


  私には、水の部分が最重要であると思われる。というのもローマ時代の
  水道橋の建設に見られるように、水が彼らにとっては極めて必要不可欠に
  思われるのである。それは現代でも同じである。








 


(注1ヨーロッパの中世都市 岩波書店) 

(注2メロヴィング朝 白水社)

 注3ヨーロッパ古寺巡礼 平凡社)

     

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再びヨーロッパの中世を巡って来ました


   「パリ、ルーアン、ルアーブルは、セーヌ川を大通りとする一つの都市であるという言葉
 がある」(ミシュレ)

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 再び、パリを拠点としてヨーロッパの中世を巡って来ました。
 予定を変更してしばらくお送り致します。







    

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プティット・フランス (ストラスブール)


    「フランスの歴史はフランス語とともに始まる。言語は国民性の主要な特性である。
    我々の言語の最初の記念碑は、843年の{ヴェルダン条約にさいしてシャルル禿頭王
    が兄ルートヴィッヒにあてたストラスブールのの誓文であった」
                               (ミシュレ)(注①)
   

        大聖堂を見学の後、かって 製粉業などを生業(なりわい)としていた家が並ぶ
   プティット・フランス地区を散策しました。ここには、木組の古い家が見られます。

         
              
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     ストラスブールといえば、ローマ時代に遡れる古い町ですが、
     中世でも511年クロヴィス王没時のメロヴィング朝王国領の地図(注②)
    を見るとストラスブールは近くのヴェルダンなどと並んですでに
    司教座のマークがついています。


    上記ミシュレはストラスブールの誓い(誓文)は記念碑といって
    いるほど重要な出来事であるわけは、その文章がそれぞれの言葉
    であるゲルマン語とロマンス語で書かれたということと思われる。
    つまり現在のドイツ語とフランス語の基(もと)である。
    
    これがフランスとドイツの祖型が出来上がったヴェルダン条約が政治的な
    条約とすれば、ストラスブールの誓いは初めてドイツ語とフランス語で
    書かれた言葉という文化的な側面もあると言えるかもしれません
    
    このあと、フランス、ドイツとつづくイタリアの原形をつくったとされる
    メルセン条約が続くわけである。 。
   
    そんなことをおもいながらぶらぶら歩いたことでした。
    そして次に向かったのは同じライン川沿いにあるドイツ側の中世都市
    ケルンでした。
    
    (注① フランス史 藤原書店 注②中世のヨーロッパ朝倉書店)


   

   追記 


   文化というと、ストラスブールはかのグウテンブルクが住んでいた町であり
   また現在では、政治的にはヨーロッパ議会がありますが、残念ながら訪ねる
   ことは出来ませんでした。やはりここストラスブールは中世以来の伝統を引
   き継いている気がします。 

     

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Strasbourg ストラスブール カテドラル②(仏)




 さて、ストラスブールの大聖堂を見学しました



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 カテドラル(ゴシック様式)13世記後半
 フォションは、彼の著、「ゴシック」で
 「(この大聖堂は)東の方に
 向かってフランス様式の流布範囲を伸ばし、
 アミアンの大聖堂を模したケルンの大聖堂
 があるライン地方まで至る」(注)
 と述べています。
 
 赤い砂岩で出来ている
 塔の高さ142メートル
 片方しかないのが愛嬌である


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 天文時計(自動人形が組み込まれた貴重なものである)


 大聖堂見学の後、


 近くにある附属の美術館を見学しました
 これは大聖堂にあったものを移したものである。
 貴重な数々が展示されています。


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  エクレシア(左)とシナゴーグ(右)大聖堂附属美術館

 (エクレシア(キリスト教会)冠を抱き、手に十字架と聖杯を持ち、

  シナゴーグは目隠しをし擬人的に表現されたものと言われている)


  上記フォションは
 「その優雅さと瞑想性からいっていわば芸術上の別地域に属するもので
  ある」と述べています。


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 (キリストの顔) ステンドグラスとしては最古のものの一つという。

 (大聖堂の南袖廊扉口のティンバヌムの有名な「聖母の死」の彫刻は修復中のため、
 見ることは出来なかった)

 
  (これまで、主に教会堂中心の中世歩きでしたが、これからは今回の美術館見学
  を機に中世の美術館も織り交ぜて歩きたいと思っております)


 (注*「ゴシック」 鹿島出版会)

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ストラスブール① カテドラル (仏)




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       (カテドラルの塔上から撮影)



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      ゴシックのフライング・パドレスを上から撮影
      するのは、初めてである。



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        (ストラスブールの旧市街)



     この夏、フランスから孫が一人で来日、ある県の山間部の小学校に
     体験入学させるなど忙しくしていたら、すっかりブログに手を
     つけることなく、日だけが過ぎていた。
     (孫は学校の生徒と相撲を取っただの、プールで泳いだだの
      結構楽しそうだったが、たまに頭が痛いと駄々をこね、
      今日は休みたいだのと言ったりしていたが、約20日間を休む
      ことなく、無事に終えパリに帰って行った。
      学校の担任の先生、関係者の方々には非常に親切にお世話して
      頂き、感謝しています)。

    ストラスブールはそのうち取り上げたいと思っているうちにすっかり
    時間がたってしまいました(昨年の秋、訪問)。
    次回から詳しく記したいと思います。


 

           追記 
 上記に取り上げました、孫を高尾山登山に連れ出したところ、
 帰りの駅近くでミュージアムの看板を目ざとく見つけ行きたいといい、
 同行しました。

 私はどんなところか、半信半疑でついていったところ、
 興味深いミュージアムでした。


   トリックアートミュージアム


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絵を回転すると、


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アートのミュージアムというのは、大方鑑賞(絵など)するところですが、

ここは鑑賞者自ら参加型のミュージアムでした。
こういうミュージアムもありだなと感じ入った次第です。 

孫も大いにエンジョイした様子でした。
(この写真は一例で他にも面白いトリックアートはあります)

 トリックアート ミュージアム
 だまし絵の歴史は2000年前からあるそうですが、
 ここのミュージアムはだまし絵をトリックアートで再現する

 ことを目的とするそうである。
 (注 このミュージアムは京王線の高尾山口駅近くにあります)



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フィリップ・オーギュストとパリ



     パリといえば、第二帝政下で広い道路を作ったオスマン

     男爵が知られていますが、実は中世パリのフリップ・
     尊厳王(フィリップ・オーギュストの名は8月に生まれた
     王子が由来である)が第一の立役者である。(泥道に等しかった
     道路を石で舗装した)
  
      今回はルーヴルのシュリー翼半地下にある城塞址の
     見学に行きました。灯台下暗し、私にとって頻繁に訪れ
     ているパリですが、ここは最も身近にある中世の城壁です。
      (パリを城壁で囲ったのもオーギュストである)


     相変わらずルーヴルは混んでいましたが、ここは別世界
     でした。
               

     ここを建設したのは、上記のカペー朝のシャルマーニュと仇名
     されたフリップ尊厳王(1165-1223)です。
     この人は前回取り上げた聖王ルイのおじいさんにあたります。
       
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        子供たちが見学に訪れていました。

       フリップ尊厳王
      フランス王として、王領の拡大と王権の強化に努め、
      優れた統治を行った。官僚を創設し、裁判を整備
      パリの町を美化した(注* ヨーロッパ中世 藤原書店)



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     次に向かったのは、一階の中世部門である。
     そこでいろいろ観ましたが、代表的な像はこの
     シャルマーニュの像である。


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     カール大帝(シャルマーニュ)像
    
    以前ルーヴルの絵画部門は数回訪れたものの、この中世部門は
    ルーヴルの混雑に辟易していたこともあって、随分遅い見学に
    なってしまいました。   

   
         追記

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庭にギボウシの花が一輪だけ咲いていました。
ギボウシの由来は花(この画像では上の部分)蕾が
擬宝珠に似ていることから来ていると言われてます。        
     

ロワイヨーモン修道院 Abbey de Royaumont (仏)


      先日の土曜、国会前に行って来た。すごく暑い日でしたが、一万人以上の
  老若男女が集まっていた。元気なhさん(女性)のコールが響いていた。
  

   さて、この修道院行は去年の秋(10月)である。パリから日帰りで訪ねました。
  なかなか中世の雰囲気を感じさせる所でした。途中駅を間違えたが、
  親切なフランス人が修道院まで、車で送って頂き、おまけに観終わったら駅まで
  迎えに来て送って頂いた。ここはちょっと辺鄙なところにある。
  修道院はやはり人里離れた場所に建てられたのである。ここはシトー派の建物で
  あり、それ(辺鄙な場所)が当然のことであった。


      

    聖王ルイが建てた修道院


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                       (1235年建築)

     聖王ルイ(1214~1270)フイリップ尊厳王の事業を継いで
     平和のうちに王権を発展させた。また深い信仰心を持ち、聖地の
     奪回を夢見て二度の十字軍を試みたが、いずれも失敗に終わり、テュニス
     病没した(注)

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    この修道院はフランス革命時破壊され、今では遺跡のようになっているが、
    それが逆に訪ねる人の往時を偲ぶ縁(よすが)になっている気がします。

           (注:ヨーロッパ中世 芸術と社会より ジョルジュ デュビィ著 藤原書店)

 コミューン都市を訪ねる サン・カンタン Saint Quentin (仏)


        パリから日帰りでフランス北部のサン・カンタンを訪ねました。
   ここは古いコミューン都市として知られた存在です。



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        中心部の広場   
     中世都市といえばやはり市庁舎である

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                       この彫刻は籠から察して都市の商人だろうか。


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    ここには興味深い彫刻などが見られます。


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           近くに見えるのは聖堂、まさに付かず離れずの関係である。
    そして広場を入れるとそのまま中世都市の姿と言えよう。
    この広場では、市がたっていた。


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  聖カンタンの遺骨が納められているサン・カンタン聖堂(13世紀~)


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    プラーニッツは最も古い時期における宣誓共同体
    の存在は1081年のサン・カンタン、1099年の
    ボーヴェー、1100年のサント・メール、、、に
    実証されると述べています。

    (宣誓共同体:領主に対して市民が結成した誓約団体。

    主に北フランスに見られる 中世の都市コムーネ
    オットカール著 創文社)
     

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