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プティット・フランス (ストラスブール)


    「フランスの歴史はフランス語とともに始まる。言語は国民性の主要な特性である。
    我々の言語の最初の記念碑は、843年の{ヴェルダン条約にさいしてシャルル禿頭王
    が兄ルートヴィッヒにあてたストラスブールのの誓文であった」
                               (ミシュレ)(注①)
   

        大聖堂を見学の後、かって 製粉業などを生業(なりわい)としていた家が並ぶ
   プティット・フランス地区を散策しました。ここには、木組の古い家が見られます。

         
              
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     ストラスブールといえば、ローマ時代に遡れる古い町ですが、
     中世でも511年クロヴィス王没時のメロヴィング朝王国領の地図(注②)
    を見るとストラスブールは近くのヴェルダンなどと並んですでに
    司教座のマークがついています。


    上記ミシュレはストラスブールの誓い(誓文)は記念碑といって
    いるほど重要な出来事であるわけは、その文章がそれぞれの言葉
    であるゲルマン語とロマンス語で書かれたということと思われる。
    つまり現在のドイツ語とフランス語の基(もと)である。
    
    これがフランスとドイツの祖型が出来上がったヴェルダン条約が政治的な
    条約とすれば、ストラスブールの誓いは初めてドイツ語とフランス語で
    書かれた言葉という文化的な側面もあると言えるかもしれません
    
    このあと、フランス、ドイツとつづくイタリアの原形をつくったとされる
    メルセン条約が続くわけである。 。
   
    そんなことをおもいながらぶらぶら歩いたことでした。
    そして次に向かったのは同じライン川沿いにあるドイツ側の中世都市
    ケルンでした。
    
    (注① フランス史 藤原書店 注②中世のヨーロッパ朝倉書店)


   

   追記 


   文化というと、ストラスブールはかのグウテンブルクが住んでいた町であり
   また現在では、政治的にはヨーロッパ議会がありますが、残念ながら訪ねる
   ことは出来ませんでした。やはりここストラスブールは中世以来の伝統を引
   き継いている気がします。 

     

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Strasbourg ストラスブール カテドラル②(仏)




 さて、ストラスブールの大聖堂を見学しました



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 カテドラル(ゴシック様式)13世記後半
 フォションは、彼の著、「ゴシック」で
 「(この大聖堂は)東の方に
 向かってフランス様式の流布範囲を伸ばし、
 アミアンの大聖堂を模したケルンの大聖堂
 があるライン地方まで至る」(注)
 と述べています。
 
 赤い砂岩で出来ている
 塔の高さ142メートル
 片方しかないのが愛嬌である


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 天文時計(自動人形が組み込まれた貴重なものである)


 大聖堂見学の後、


 近くにある附属の美術館を見学しました
 これは大聖堂にあったものを移したものである。
 貴重な数々が展示されています。


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  エクレシア(左)とシナゴーグ(右)大聖堂附属美術館

 (エクレシア(キリスト教会)冠を抱き、手に十字架と聖杯を持ち、

  シナゴーグは目隠しをし擬人的に表現されたものと言われている)


  上記フォションは
 「その優雅さと瞑想性からいっていわば芸術上の別地域に属するもので
  ある」と述べています。


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 (キリストの顔) ステンドグラスとしては最古のものの一つという。

 (大聖堂の南袖廊扉口のティンバヌムの有名な「聖母の死」の彫刻は修復中のため、
 見ることは出来なかった)

 
  (これまで、主に教会堂中心の中世歩きでしたが、これからは今回の美術館見学
  を機に中世の美術館も織り交ぜて歩きたいと思っております)


 (注*「ゴシック」 鹿島出版会)

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ストラスブール① カテドラル (仏)




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       (カテドラルの塔上から撮影)



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      ゴシックのフライング・パドレスを上から撮影
      するのは、初めてである。



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        (ストラスブールの旧市街)



     この夏、フランスから孫が一人で来日、ある県の山間部の小学校に
     体験入学させるなど忙しくしていたら、すっかりブログに手を
     つけることなく、日だけが過ぎていた。
     (孫は学校の生徒と相撲を取っただの、プールで泳いだだの
      結構楽しそうだったが、たまに頭が痛いと駄々をこね、
      今日は休みたいだのと言ったりしていたが、約20日間を休む
      ことなく、無事に終えパリに帰って行った。
      学校の担任の先生、関係者の方々には非常に親切にお世話して
      頂き、感謝しています)。

    ストラスブールはそのうち取り上げたいと思っているうちにすっかり
    時間がたってしまいました(昨年の秋、訪問)。
    次回から詳しく記したいと思います。


 

           追記 
 上記に取り上げました、孫を高尾山登山に連れ出したところ、
 帰りの駅近くでミュージアムの看板を目ざとく見つけ行きたいといい、
 同行しました。

 私はどんなところか、半信半疑でついていったところ、
 興味深いミュージアムでした。


   トリックアートミュージアム


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絵を回転すると、


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アートのミュージアムというのは、大方鑑賞(絵など)するところですが、

ここは鑑賞者自ら参加型のミュージアムでした。
こういうミュージアムもありだなと感じ入った次第です。 

孫も大いにエンジョイした様子でした。
(この写真は一例で他にも面白いトリックアートはあります)

 トリックアート ミュージアム
 だまし絵の歴史は2000年前からあるそうですが、
 ここのミュージアムはだまし絵をトリックアートで再現する

 ことを目的とするそうである。
 (注 このミュージアムは京王線の高尾山口駅近くにあります)



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フィリップ・オーギュストとパリ



     パリといえば、第二帝政下で広い道路を作ったオスマン

     男爵が知られていますが、実は中世パリのフリップ・
     尊厳王(フィリップ・オーギュストの名は8月に生まれた
     王子が由来である)が第一の立役者である。(泥道に等しかった
     道路を石で舗装した)
  
      今回はルーヴルのシュリー翼半地下にある城塞址の
     見学に行きました。灯台下暗し、私にとって頻繁に訪れ
     ているパリですが、ここは最も身近にある中世の城壁です。
      (パリを城壁で囲ったのもオーギュストである)


     相変わらずルーヴルは混んでいましたが、ここは別世界
     でした。
               

     ここを建設したのは、上記のカペー朝のシャルマーニュと仇名
     されたフリップ尊厳王(1165-1223)です。
     この人は前回取り上げた聖王ルイのおじいさんにあたります。
       
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        子供たちが見学に訪れていました。

       フリップ尊厳王
      フランス王として、王領の拡大と王権の強化に努め、
      優れた統治を行った。官僚を創設し、裁判を整備
      パリの町を美化した(注* ヨーロッパ中世 藤原書店)



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     次に向かったのは、一階の中世部門である。
     そこでいろいろ観ましたが、代表的な像はこの
     シャルマーニュの像である。


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     カール大帝(シャルマーニュ)像
    
    以前ルーヴルの絵画部門は数回訪れたものの、この中世部門は
    ルーヴルの混雑に辟易していたこともあって、随分遅い見学に
    なってしまいました。   

   
         追記

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庭にギボウシの花が一輪だけ咲いていました。
ギボウシの由来は花(この画像では上の部分)蕾が
擬宝珠に似ていることから来ていると言われてます。        
     

ロワイヨーモン修道院 Abbey de Royaumont (仏)


      先日の土曜、国会前に行って来た。すごく暑い日でしたが、一万人以上の
  老若男女が集まっていた。元気なhさん(女性)のコールが響いていた。
  

   さて、この修道院行は去年の秋(10月)である。パリから日帰りで訪ねました。
  なかなか中世の雰囲気を感じさせる所でした。途中駅を間違えたが、
  親切なフランス人が修道院まで、車で送って頂き、おまけに観終わったら駅まで
  迎えに来て送って頂いた。ここはちょっと辺鄙なところにある。
  修道院はやはり人里離れた場所に建てられたのである。ここはシトー派の建物で
  あり、それ(辺鄙な場所)が当然のことであった。


      

    聖王ルイが建てた修道院


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                       (1235年建築)

     聖王ルイ(1214~1270)フイリップ尊厳王の事業を継いで
     平和のうちに王権を発展させた。また深い信仰心を持ち、聖地の
     奪回を夢見て二度の十字軍を試みたが、いずれも失敗に終わり、テュニス
     病没した(注)

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    この修道院はフランス革命時破壊され、今では遺跡のようになっているが、
    それが逆に訪ねる人の往時を偲ぶ縁(よすが)になっている気がします。

           (注:ヨーロッパ中世 芸術と社会より ジョルジュ デュビィ著 藤原書店)

 コミューン都市を訪ねる サン・カンタン Saint Quentin (仏)


        パリから日帰りでフランス北部のサン・カンタンを訪ねました。
   ここは古いコミューン都市として知られた存在です。



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        中心部の広場   
     中世都市といえばやはり市庁舎である

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                       この彫刻は籠から察して都市の商人だろうか。


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    ここには興味深い彫刻などが見られます。


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           近くに見えるのは聖堂、まさに付かず離れずの関係である。
    そして広場を入れるとそのまま中世都市の姿と言えよう。
    この広場では、市がたっていた。


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  聖カンタンの遺骨が納められているサン・カンタン聖堂(13世紀~)


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    プラーニッツは最も古い時期における宣誓共同体
    の存在は1081年のサン・カンタン、1099年の
    ボーヴェー、1100年のサント・メール、、、に
    実証されると述べています。

    (宣誓共同体:領主に対して市民が結成した誓約団体。

    主に北フランスに見られる 中世の都市コムーネ
    オットカール著 創文社)
     

番外編 ハハコグサ


    春真っ盛り、庭を見るとひっそりと野草が咲いている。
   日ごろ見慣れてはいるが、名前は知らない。
   ハハコグサだという。いい名前である。

   花言葉は「いつも思う」とある(ネット調べ)
   日本原産だという。

   
         ハハコグサ.jpg    


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自宅 豆 (2).jpg


 エンドウ豆がいい感じになって来た。
 これから、美味しい季節である。
 
 近所の農家で仕入れて食べたタケノコごはんも美味しく

 頂いた。何より旬で食べられるのがうれしい。   



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    コンテナ南大沢  (2).jpg



   アップコンテナ 花 (2).jpg

 大学前の通りのコンテナガーデン。いつもきれいに
 設えている。目を楽しませてくれる。




 蓼科 ネコヤナギ (2).jpg


  八ヶ岳山麓のネコヤナギ?
  やっと花?」が咲いたところである。



 ネコヤナギ (2).jpg

花が一部落ちている


 スミレ蓼科 (2).jpg

  スミレも咲き始めた。
 こちらはやっと花の季節が巡って来ました。

 (いずれもスマートフォンにて、撮影)

 (次回から中世巡りに戻ります)


     追記

  フランス大統領選でマクロン候補がルペン氏を破って勝利した。
  39歳という若さである。

  何より彼はEUに留まることを主張、相手のルペン氏はEUから出る
  ことを主張していた。

フランス揺籃の地を巡る ヴェルダン Verdan (仏)


    フランス揺籃の地を巡る旅も最終回となりました。
    ここヴェルダンがフランスの揺籃の地といっても、この中世都市は
    ちょっと複雑な歴史を辿っています。

    現在では、勿論立派なフランス国の都市ですが、あのカール大帝で
    有名なカロリング朝時代の後、そのシャルルマーニュの孫の時代に
    フランク国は分裂を起こし(ヴェルダン条約)この都市は現在の
    ドイツに属していました。
    そのあと、フランス領になるのはかなり後16世紀なのですね。

    この都市を取り上げるのは、二回目になります。

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    この町はムーズ川の畔にあります。6世紀の時代にすでに司教座であり
    立派な商業都市の記録があります。


     
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       (大聖堂)



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    今回の旅にパリから同道した娘一家がこの大聖堂のミサに参加している
    間に自分はこの町を散策しました。その後、数年前に亡くなった
    娘の夫の父親のお墓に一緒にお参りしました。 


   第一次世界大戦の舞台(ヴェルダンの戦い)になったドゥオモン要塞の
   墓地を最後に訪ねました。
   


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      (  この地図を拡大すると、この地がベルギー、ルクセンブルグ
   ドイツに囲まれた地域であることが分かります)

    この戦いの犠牲者は70万人以上に上るといわれています。
    この地はフランスとドイツの中世以来の長い複雑な地政学上の
    歴史に根差していると思えてなりません。
    その反省の上にフランス、ドイツの現在の良好なな関係が築か
    れたのではないでしょうか。

    しかし、イギリスがEUから脱退を決めるなどヨーロッパは
    今、不安定な情勢にあります。 
    そんな中、フランスもまもなく大統領選挙があります。
    今から、ヨーロッパ情勢から目が離せられません。

    といったわけで、今回の旅行で辿ったパリーランスーヴェルダン
    の道程 は フランスの古い中世以来の歴史ある道筋であり、意義
    ある旅でした。 

           追記
    つくづく思うに、ヨーロッパ特にフランスは川(運河)が縦横にはりめぐされ
    中世どころか、ローマ時代から通商に利用されているのだから、驚きます。
    ムーズ川もその一つで、この川の流域ではポルトゥス(注)が発達したという。
    「ディナンからマーストリヒトまでのムーズ諸都市は、その経済活動の全体
    専ら河川流通に負っている」とG.デスピィ述べています。
    当然、ヴェルダンもその恩恵に預かったのでしょう。
    (注:港)    
    (G.デスビィ著、9-10世紀の都市と農村 -ムーズ地域の場合ー)     


サン・レミ (ランス・仏)


     フランス揺籃の地を訪ねる旅、次に向かったのは同じランス市内にある
    サン・レミ教会である。ここは聖レミギウスに捧げられた聖堂として知ら
    れるロマネスクの聖堂である(1015年頃起工 1049年献堂 1170年頃
    ゴシックに改変)。
       


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       一口にロマネスクといっても、時代によって変遷を遂げているのである。
       正面の塔を見ても向かって右側の塔はロマネスクに見えるし、左がゴシック
       だはないかと思われる。

      DSC_0647.JPG

            


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       教会内にはロマネスク時代に彫られたと思われる柱頭を見かけました。



     DSC_0674.JPG

       聖レミ(レミグウス)がフランク王クロヴィスに洗礼を施している像
       である。      

      教会内では、典礼の儀式が執り行われていました。たまたまこの式に
      参加されている司祭?の方に声を掛けられた。一緒に訪れていた娘婿
      の知人ということであった。私も訪ねたことがあるフランス中西部の
      別荘近くの教会のミサで出会ったということである。

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        階上廊(トリビューン)は ロマネスクである。        
     
   ロマネスクやゴシックの教会を訪ねるとミサには出くわすことが
   たまにありますが、これほどの典礼の式を目にすることは稀である。
   それほどここは格式の高い教会ということでしょう。貴重な体験
   でした。         


ランス ノートルダム大聖堂(仏)



      ガリア・ローマ時代から立派な都市であったランス。
      ゴシック様式の建築の最高傑作であり、正面の彫刻も
      素晴らしいランス大聖堂。

      私の記録では、以前訪ねたのは確かパリについで二番目の
      ゴシックだったような気がします。

      ランスは、ちょっと前に取り上げたクロヴィスゆかりの地であり
      (彼はここで聖レミによって洗礼を受けた)
      そしてジャンヌダルクがシャルル七世をフランスの
      王位につけた記念すべき場所もこの大聖堂であった。 


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        (ランス大聖堂 西正面)


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        (ジャンヌ・ダルク)

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        (聖ニケーズと天使)
      聖ニケーズは400年ごろにここランスに司教座を遷した 


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        この主廊の幅は13メートルで、ヴォルトの高さは
        38メートルだという。道理で垂直感がある。
                       (つまり幅が狭い分、天井が高く感じられる)

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       天井は四分ヴォルトである


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         三層構成である


         


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    ランスの大聖堂ではジャン・ドルベ、、ジャンル・ルー、ゴーシェ・ド・ランス
    ベルナール・ド・ソワッソン、ベルナール・ド・クーシヘなどの建築家の名が
    わかっているという。ゴシック建築で建築にあたった人の名は知りませんでしたが、
    (フランスの古いゴシックでは)まれな例ではないでしょうか(注①)
           なお、今回は 中央扉口付近は工事中で残念ながら付近の彫刻は見れ
    ませんでした。   

          ( 注②* ここを取り上げたのは確か二回目であり、重複している
    部分もあるかと思います)

          (フランスやヨーロッパの文化について造詣の深かった饗庭 孝男さん
     が亡くなられたことを昨日の朝刊で知りました。
     最初にフランスに滞在したとき、氏の著書「石と光の思想」を
     携帯、非常に感銘を受けた記憶があります。
     ご逝去に対してご冥福をお祈り致します)

     (注①「ゴシックと建築空間」より 前川道郎著 ナカニシヤ出版)


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