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真実は小説よりも奇


ジャンヌ・ダルク像
(このいたいけな、ジャンヌ・ダルクの像は
ルアンのヴュー・マルシェ旧市場広場のジ
ャンヌ・ダルク教会にある)

先日、興味深い新聞記事を目にしました。
「フランス救国の聖女ジャンヌ・ダルクが、セーヌ川下流の町・ルアンの町
の広場で火刑台上に消えたのは1431年のことだ。旗揚げから約2年、
19歳の生涯だった。その遺物といわれる骨などが科学鑑定される。

▲処刑後の灰はすべて川に捨てられた、と記録にある。だが、支持者が
燃え残りを隠し持ち、19世紀に存在が明かされたという。遺骨の性別や
年代、焼かれた状態が分かり史実と一致すれば、世紀の大発見になるか
も、と胸が躍る」(毎日新聞・余禄・2006年2月20日)と書かれている。

真実は小説よりも奇なりという言葉がある。驚きである。そもそもジャンヌ・
ダルクの灰が存在したことがである。
一体、誰がその灰を持っていたのだろうか?どうして?と興味がつきない。

1991年ロシア皇帝ニコライ二世の遺骨のDNA鑑定を思い起こさせますが、
今回もDNA鑑定がなされるのであろうか?結果が待たれます。しかし、
それでもって550年以上の前の灰がDNA鑑定で判断できるのでしょうか?

さて、灰の話はさておき、20歳前の少女がイギリス軍と勇敢に闘ったこと
自体がかっては、私には信じられなかった。正直、伝説に近い話として簡
単に片付けていました。しかし、史実は英仏百年戦争の話である。彼女は
オルレアンを包囲していたイギリス軍と闘い、その町を解放したのである。

その後、その少女も捕らえられ、処刑裁判に掛けられ(魔女裁判は誤りだと
される。当時は、魔女裁判の概念はなかったという)。異端のかどで火刑が
執行された。当時、彼女は19歳であった。

ジャンヌ・ダルクについて「余禄」氏の薦める高山一彦著の「ジャンヌ・ダルク」
(岩波新書)を取り急ぎ、読んでみました。氏はジャンヌ・ダルクについての第
一人者であるだけに、興味深い話が豊富な資料を駆使して明らかにされている。

その中での「処刑裁判」や「復権裁判」の話には興味をそそられるのですが、
(彼女は復権裁判で前判決破棄そして、1919年列聖承認。前著より)
私には、何より彼女が生まれたドンレミ村の証言の話が面白かった。
ということで、ジャンヌ・ダルクについて興味のある方には、一読をお奨めし
ます。

ルアンの町
上記のようにジャンヌ・ダルク処刑地として名高いルアンの町は中世の町と
して見所が一杯あります。パリから近いこともあって度々,訪ねましたが
後に紹介します、モネが描いた大聖堂の町として知られています。モネは、
サン・ラザールの駅も描きましたが、この駅はパリの出発点でもあります。
下町風情の残る古い駅です。


(旧市場広場 ここで、ジャンヌ・ダルクは火刑に  
処せられた。今は、新しいジャンヌ・ダルク教会が
建っている)

 
(大聖堂。印象派の巨匠モネが描いたことで知  ル・アンの大時計・グロ・オルロージェ
られる。刻々と変わる光の効果を巧みに使って
描いた。モネといえば、パリのマルモッタン美術
館が知られています。静かな住宅街にあるこの
美術館を訪ねられることをお奨めします。「睡蓮
」や「印象・日の出」どの素晴らしい絵が展示さ
れています。
http://www.marmottan.com/francais/


(木組みの民家が旧市街に沢山見られる)


(ジャンヌ・ダルクの遺灰はここに流された。しかし、
今は静かな水面を漂わせる)





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コメント 10

春分

燃え残りならいろいろわかるでしょうね。灰ではだめでしょう。
リュック・ベッソンのというか、ミラ・ジョヴォヴィッチのジャンヌ・ダルクのイメージが強烈で、映画を観て以来別のイメージが結べません。画像の功罪というか。
by 春分 (2006-02-21 21:54) 

yoku

実のところ、灰なのか骨なのか詳細なニュースを把握
していません。いずれにしてもインパクトの強い
ニュースでは、あります。ご指摘の映画は観ておりませんが
観てみたいものです。
by yoku (2006-02-22 07:44) 

くまくまちゃん

くまも春分さんと同じくジャンヌ・ダルク=ミラ・ジョヴォヴィッチの
イメージが強いですね。
でもyokuさんの写真をみると彼女はこの町にいたんだなぁ、とちょっと現実味を帯びる気がします。DNA鑑定で分かるんでしょうか?
またニュースがあったら教えてください。
by くまくまちゃん (2006-02-22 14:44) 

yoku

映画でどういう風に描かれたのか興味がある
ところですね。
ルーアンの町は、文字通り、しっとりとした
(実際、雨が多い)いい町です。セーヌ川も
流れ、教会も多く、とてもジャンヌ・ダルクが
刑死した町とは思えません。
by yoku (2006-02-22 20:03) 

ty-ortho

ジャンヌ・ダルクの教会ですか!
出ましたね〜。
私が去年落書きを始めたのが、ジャンヌ・ダルクを
自分のイメージで書いてみたいなあと言う理由も
ありましたから、初めて見るものでも懐かしい気がします。
私は仕事柄イメージで顔形を想像します。
ジャンヌ・ダルクは長旅にも戦いにも出向いた位だから
体はしっかりしている。意志の強そうなしっかりしたまゆ毛と
くま取られたような大きな目と農村出身らしくしっかりした
アゴ(そうすると顔の形はえらが張って四角くなります)と、
そして、歴史上は反対ですが、長髪でカッコよく戦う姿を
想像します。
短髪だったことも罪に問われたのですよね。ジャンヌ・ダルク。
アーメン。聖少女。
by ty-ortho (2006-02-23 00:31) 

yoku

そうでしたか!イメージで顔形!納得です。
それに、ジャンヌ・ダルクではじめましたか。
彼女の像は馬上のジャンヌ・ダルクが
多いようですが、私のイメージは、最初に掲げた
寂しげな、ジャンヌです。こうやってみると
イメージというのは、彼女の実体を離れて、
一人歩きしてしまうのではないでしょうか?
by yoku (2006-02-23 02:39) 

yoku

ty-ortho様
追伸
あらためて、orthoさんのぶろぐ見させてもらい
ました。やはり、気が強そうなジャンヌですね。
それとは別に、彼女の村を訪ねてみたくなり
ました。彼女が、刑を執行された後も
村の人は、彼女は気立ての良い普通の
娘さんだったと裁判で証言したそうです。
それも、彼女の名誉が回復した理由の
一つだったようです。
機会があれば、平和そうな村を訪ねたい
です。
by yoku (2006-02-23 02:58) 

foret

僕のblogにコメントいただき、ありがとうございます。
それにこれらの写真はなんとも懐かしいRouenの風景ではないですか!
僕は駅からジャンヌダルク教会へ向かう途中にあるサン・パトリス教会の向かいに住んでいました。
Rouenは本当に雨の多いところなんですよね。それを象徴するかのように、ノートルダム大聖堂の上から水がめをひっくりかえすイラストの絵葉書が売られていましたが、お気づきになられましたでしょうか?
おかげで今は少々の雨なら傘をささないでも平気で歩けるようになりました。
またいろんな写真を見せてくださいね。
by foret (2006-02-26 06:22) 

yoku

foret様
コメントありがとうございました。
チーズ、カルヴァドスそれに、ノルマンディーの風景。
美味しさ一杯です。これからも、度々訪ねたい
ところです。
by yoku (2006-02-27 05:50) 

etudiant

火刑は創造を絶します...。戦士以前の少女に思いを馳せる。
by etudiant (2012-10-02 10:48) 

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