So-net無料ブログ作成
検索選択

騎士の世界(番外編)


     「彼らは騎乗で戦った。あるいは、たまたま作戦行動の
      間に徒歩なるのが見られることはあっても、少なくとも、
      移動ときには必ず乗馬であった。更に、彼らは完全武装
      で戦った、攻撃兵器としては槍と剣、時には鉾、防御兵器
      としては、頭部を防御する兜、体を覆うものとしては
      全身あるいは身体の一部分を覆う、鎖帷子、更に手に
      三角形か円形の楯」(マルク・ブロック)



    baiyu-.jpg
            (バイユーの綴れ織 11世紀製作)
        この綴れ織のテーマはノルマンディ公ーウイリアムの
        英国征服物語である。
      中世歩きのごく初期の頃、ノルマンディーのロマネスクを
      訪ねた折り、バイユーを訪ねました。戦場の一シーン。
      非常に緊迫感があります。シーンごとに絵解きがあります。
      手には槍、体には鎖帷子のようなものを纏っています。
      まるで、映画のワン・シーンを観ているようです。
      (騎乗の騎士はウィリアム軍)

      CIMG2798.JPG
        (ロッシュのお城 アンジュー伯が築かせたという)

       さて、この中世における騎士といえば、チャンチャンバラバラ
       ただ騎乗で戦ったに過ぎない存在に見えますが、実はその存在は
       はなはだ、奥深いものがあります。

       中世ヨーロッパの封建社会を考える場合、この騎士社会は無視
       出来ない。彼らは上は王や大諸侯、下は下級騎士という幅広い
       地位だったと言われています。

       ここでは、深入りしませんが、重要なことは、彼らは貴族
       の一員だったということでしょうか。
        
                    (巻頭の言葉は「封建社会」 マルク・ブロック著 新村猛他訳 
       みすず書房)
        (画像はすべてyoku撮影)     


「12世紀ルネサンス」を歩く(番外編)



       「12世紀の復興は、カロリング・ルネサンスと違って、宮廷や
        王朝が作りだしたものではなかった。またイタリア・ルネサンスと
        違ってこの復興は、一地域で開始されたものではなかった。
                               (ハスキンズ)
        
                    ハスキンズはこの本「12世紀ルネサンス」の序言で、「この時代
       (12世紀)はロマネスク芸術が全盛期を迎え、ゴティク芸術が開始
       され、俗語(自国語文学)が出現し、ラテン的古典やラテン詩ローマ
       法がよみがえり、、、と述べています。
       

                    PC286292.JPG 
             (アーヘンの礼拝堂)      

     カロリング・ルネサンス(9世紀)の本拠地アーヘンのカール大帝
     の礼拝堂
            (アーヘンはカロリング朝の宮廷が置かれ、シャルマーニュ(カール大帝
     滞在した古都である)

            ハスキンズはこの本の中で、(上記のルネサンスは)9世紀の学問と文学
    の復興と述べている。             
     


                  CIMG5596.JPG   
            (シャルトル大聖堂)
                    12世紀・ルネサンスの具体的例としてハスキンズは
            シャルトルの司教座聖堂学校をあげている。
      
              P1056683.JPG
               (イタリア・ボローニアの大学付近)

         12世紀に設立されたボロニア大学についても言及している
         「大学は文明に対する中世の貢献であり、とりわけ12世紀の
         貢献である」と。 

         彼はまた、「ボローニヤは諸大学の母であり、北部におけるパリ
         のように、南ヨーロッパにおける高等教育制度の産みの親であった」
         とも述べています。 
      

                        PA300095.JPG

    (イタリア・ルネサンス(15世紀)の発祥の地、フィレンツエの大聖堂)

     ヨーロッパ中世のルネサンスといえば、まずここが思い浮かぶ。
     歩きはじめの頃、ここに良く通った(注 これについても12世紀
     ルネサンスとは関係ありません)。
         
     さて、今思えば、各地のロマネスク会堂やシャルトル、ボローニアなどの
     大学都市訪問は結果として12世紀ルネサンスを歩いたことになります。

     ハスキンズ・テーゼの12世紀・ルネサンスについての現在の評価は知り
    ません(ホイジンガなど否定的)。しかし、彼が暗黒社会の中世について
    否定し、再評価した点は(何かで読んだことがあります)評価すべきと思う。

         (注*12世紀ルネサンス ハスキンズ 野口洋二訳 創文社)

                   (写真は全てyoku撮影)


聖女フォアと黄金の座像(番外編)


     このコンクの村を最初に訪れたときの印象は今でも
     忘れられない。教会堂の姿はきわめて幻想的なものであった。
               (この教会堂は霧の多く発生する谷間の村にある)
  
     PA260413.JPG
       (コンクの旧サント・フォア修道院)

      PA260448.JPG
       (聖女フォアの黄金の座像)
       10世紀ごろのもの。
       

      聖女フォアは12歳で殉教したというが、(間近で見た印象は)
     この像はは年老いた風であった。とても12歳には見えない、
     年老いた印象である。

     神の手とサントフォア.JPG
       (正面の壁面にある神の手にふれ伏す
       聖女フォア)

       こちらのフォアの方が歳そうおう(12歳)の印象が
       ある。

     さて、かってこの黄金の像は土地の人々に多くの奇跡を起こした
    という。
   「聖女の像は内陣から持ち出され、足並みのゆっくりした馬を
    選んで、その上に乗せられる。像のまわりでは若い聖職者たちが
    シンバルをうち鳴らし、象牙の角笛を響かせる。

    像はかってこの地帯が異教の地だった頃の大地母神のように、
    おごそかに、山間の地を進んでいく。そして像の通り過ぎる
    いたるところで、争いはおさまり、平和が戻ってくるのであった」
        (注;エミール・マール・図書刊行会より)

     中世にはこのような聖女像は敬われ霊験あらたかと信じられた
     時代を彷彿させるのである。
     (この像には、聖女の遺物が収まっている)
    

      追記
    黄金の聖女像といえば、すごい物に違いないが、当時としては
    中に収まっているお骨(頭蓋骨)の方が貴重だったと思われる。
    何しろ奇跡をおこす聖人のお骨なのだから。

    その聖遺物(お骨)が収まるまでの経緯が面白い。
    それはアジャンという町で盗まれたものだったという。
    中世といえば、なんでもありの時代。盗むことなど
    何でもない時代。その聖女お骨のおかげで、この教会には、多くの
    巡礼者が押し掛けたという。 、


ヨーロッパ中世の旅人たち(番外編)


     「(中世には)戦士たち、巡礼者たち、商人たち、軽業師たち、
      聖職者たちが、たえずしきりに移動していた」
                         (レーモン・ウルセル)

     ヨーロッパ中世には色んな人たちが旅していたのですね。
     まず目に浮かぶのは、巡礼者ですね。旅の危険な時代に
     スペインのコンポステラなどに巡礼の旅に出ている。

     軽業師
            DSC_0002.JPG

   
   「石工はいわば、渡りの職人だった。彼らはしごとがあるところへ
    行って働き、大聖堂の敷地内の小屋に住み、日銭を稼ぎ、、、」
                    (ジョセフ・ギース他)
      石工
           CIMG5356.JPG

   10世紀後半頃から、多くの教会の建築が始まり、それとともに
   石工が活発に移動、建築に携わった。 

続きを読む


ヨーロッパ中世ブラブラ歩記予告


 次回ヨーロッパ中世歩きは10月を予定しています。
(注)その間、ヨーロッパ中世に関する諸々を記するつもりです。
 よろしくお願い致します。


中世の町 ヴァンドーム  Vendôme (仏)


      さて、そもそも、私はロマネスクの塔とゴシック見る
  目的のためにヴァンドームを訪ねたのでしたが、ここは
  TGVでパリから約40分の小都市。しかし今でも
  中世の面影が残る雰囲気のある町でした。
    


      CIMG6501.JPG

   古い城塞が見下ろす、ヴァンドームの中心部。
   ここは11世紀以降、プランタジュネ家など、領主などや伯に
   支配された封建社会を地でいくような歴史を持つ、古い町で
   ある。

        
   

      CIMG6528.JPG    


  CIMG6500.JPG

  この町を流れるロワール川はあのロワール川(Loire)の支流
     Loir川である。一寸横道に入るとなかなか雰囲気がある。

      CIMG6498.JPG


      CIMG6497.JPG


      CIMG6537.JPG

            洗濯場だろうか。フランスの中世の町や村で見かける。
   
  

      そこはやはり、中世の町、いたるところに中世の建築を目に
  する。

     CIMG6511.JPG   

    CIMG6502.JPG

  

      CIMG6553.JPG
   
   
      CIMG6494 (1).JPG


      CIMG6551 (2).JPG



      CIMG6555.JPG



      CIMG6504.JPG
    
   
   
   
      CIMG6495.JPG    
   
    
   古い中世の教会。そして町を編みの目のように流れる小川。
   ヴァンドームの町は散策するには程良い規模の中世の町
   そして横道にそれて歩いてみたい町でした。
  


トリニテ修道院 ②(ヴァンドーム・仏)


    訪ねたトリニテ修道院(三位一体修道院)は、ゴシックとしては最後に
   登場したフランボワイヤン式ものですが(16世紀)、この教会の
   建築の歴史は変遷をたどっている(11世紀~16世紀)。


    CIMG6527.JPG  

    CIMG6507.JPG
           (西正面)   

    


       CIMG6508.JPG 

        DSC_0968.JPG

       メラメラと火が燃え上がるような、曲線を描いた
       形をしている。これが火炎式である。

        CIMG6516.JPG 
          バラ窓の下の窓を内部から見たものである。


      CIMG6517.JPG

          

     

       

     DSC_0983.JPG

        火炎式の窓枠である。


       CIMG6523.JPG

    DSC_0982.JPG


         DSC_0975.JPG

         DSC_0977.JPG


      

         DSC_0981.JPG

        正面横には、ロマネスクの鐘塔がある(12世紀)

       CIMG6506.JPG

        ここにはかって、ラザロのお墓でラザロの復活を祈り,それが
        成就、涙したキリストの聖なる涙が収められていたのだという。
        それはコンスタンティノーブルから運ばれたものだといわれて
        いた。
        中世には、聖遺物が多くの参拝者を引き寄せた。
        聖遺物の存在を信じるかどうかはともかく、それが中世ヨーロッパ
        の一断面である。

        この修道院教会の建築の歴史はロマネスクからゴシックの最後
        を飾ったフランボワイヤン様式まで建築の歴史の博物館のような
        場所である。

           


ゴシックのある風景ートリニテ修道院①(ヴァンドーム・仏)


     

    DSC_0994 (1).JPG
            
       (トリニテ教会 15世紀)   

      ここヴァンドームにあるゴシックは、中世後期に最後に花開いた
      フランボワイヤン様式である。
      (昨年夏歩いた中世都市、ヴァンドーム次回から
       シリーズでお送りします)
               
     

封建社会とロマネスク (番外編)


            987年のロベルティエン・ユーグ・カペーの即位は
    領主権や地域の城主権と新たな奴隷階級の出現を見て
    封建世界への突入をしるした。

    領主権とともに、領地の細分割が、権力の新しい形を
    歴史の全面に押し出した。

    封建制度が11世紀を通じて確立する。
                    (グザヴィエ・パラル・イ・アルテ)
   
            CIMG4923.JPG
      (Saint Pierre,Chissey-Les-Macon)

          (フランスでは)ロマネスクが建立され始めたのと軌を一にしている。
    そしてそれらを建築したのは主に封建領主だったのである。

          上記のアルテ氏は
            (これに対して、大聖堂を中心とする)ゴシックは大規模な大聖堂の
     飛躍的な発展は、フランス北部のフランス王権の周りに形成された。
    
     、、、、王の芸術だったと述べている)。

    (巻頭の言葉は、中世の芸術・西田雅嗣訳 白水社より)
    
    (尚、上記写真のSaint Pierreにつきましては、後日別館ロマネスク
    の世界でも取り上げる予定です)upしました。


ロレーヌ河畔のロマネスクを巡る(仏)


 
   「果実や樹木は、八月にも五月と同じように,緑に輝いていた。
   
        岸辺にたって眺めると,空を映す水面のかなたで、向こう岸
    は空中に浮かんでいた。

         眼下には砂地が広がり、川面では柳がのどを潤している。
        その向こうにはポプラやアスペンやクルミ
    があり、川中に浮かぶ島々ガ折り重なって見えた。

        遠くでは、丸いかたちをした木々の頭部が、まるで羊の群れ
        のように穏やかに波打っている。

         なんと柔和で快適な土地であろう。」                                                                             
                    (ミシュレ)
    
    昨年夏、フランスのロワール河畔にロマネスクを訪ねました。   

    CIMG6084.JPG


    CIMG6095.JPG


    CIMG6085.JPG
       (Eglise Notre-dam des Tuffeaux)





    CIMG6087.JPG

       CIMG6094.JPG


       CIMG6092.JPG

       CIMG6093.JPG


       CIMG6103.JPG
                         (Eglise Saint-Aubin,Treves)



       CIMG6110.JPG

       CIMG6100.JPG

       CIMG6099.JPG

       

          DSC_0219.JPG
                               (Eglise notre-dame,Cunault)

    フランスでは、川の近くでよくロマネスクを見かけます。

      これら三つのロマネスク様式の教会は小ぶりであったが
   自分には好みのロマネスクでした。
   (尚、キュノーにつきましては、別館「ロマネスクの世界
    にてお送りする予定です。upしました

   (巻頭の言葉はミシュレ著・フランス史 藤原書店より)