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戻って来ました、グランド・ジャット島に(仏)


   印象派の画家に愛された島として知られるセーヌ川の中州
  グランド・ジャット島

  パリ郊外の滞在先がこの島に近いとあって、来仏のたびに
  パリ北西 1,5キロのこの島に通っています。

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     この島の沿岸に良く現れる白鳥

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   ハロウインの催しだろうか。小さな子供たちが集まって
   いました。

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   子供たちに園芸を親しませる催しのようだった

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    このような散歩道がこの島の周りに設えてあります

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  キュビスムの画家、アルベール・グレーズもこの
  島に通ったらしい

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   島では、紅葉が始まっていました

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      それにしても、いつもこうして満々と水を湛えて、滔々と流れ
      迎えてくれるセーヌが不思議でならない

      これから,しばらく巡った中世歩きが続きます、、、、、


(中世)都市と橋 バラントレ橋(番外編)


    フランスの中世都市カオール を訪ねたのはかなり前のことになる。
    そのころ、一連のフランス西南部のドーム式教会堂を訪ねていて
    そのいっかんとしてカオールの大聖堂を訪ねたわけである。
    カオールは司教座所在地である。従ってこの町は中世にはかなりの
    町であったことが分かる。今では地方の小規模の町であるが、中世
    にはかなり賑わっていたことが察せられる。 
  
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         (サン・テティエンヌ 11世紀)
         
         大聖堂である。ドーム式教会堂であり、ドーム式と
         としては、フランスの最初のものである。


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       旧市街の横道にそれると中世の面影の残る場所に
       出くわす。

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           (バラントレ橋 14世紀)
      
          ロット川に掛かっている。
          この橋の上流側には水切りも備えていて
          かなり強固に見える。

          塔には、狭間が見えるところから要塞的な橋である
          ことが分かる。この地方の重要な中世都市であった
          カオールを守るための軍事的な任務を担っていた
          のであろうか。中世の一断面である。       


聖ミカエルの審判 (番外編)


    「聖ミカエルは家令のように玉座の前にあって、裁判を進行させる。
     それというのも、神の法廷は地上の領主の法廷のように判決を下す
     からだ」(ジョルジュ・デュビー)

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          聖ミカエルと秤(はかり)
        
    聖ミカエル(画像の」左)は最後の審判の際、人間の魂を
    秤で計る大天使としてしられる。
    この人間は”天国に送るか地獄に落とす”かと。
    中世の人々にとっては恐れられる存在だったことが想像
    できる。画像の右は悪魔(この裁判を邪魔?している)

    一方で大天使ミカエルは竜を退治する神の戦士として
    敬われて、描かれることが多い。ここからミカエル崇拝
    が生まれている。現在でもこの人名が多いことからも
    親しまれているのが推し量れる気がします。
    
           

     聖なる山

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           (モン・サン・ミッシェル)
       
       山岳信仰のひとつ 聖ミカエルを祀った山である。

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      (サン・ミッシェル礼拝堂・ル・ピュイ)

       ここも聖ミカエルを祀っている。

     こういったフランスの山は聖ミカエル信仰の証として
     中世の人々の心情がしのばれるものである。

         (画像はyoku撮影)        


騎士の世界(番外編)


     「彼らは騎乗で戦った。あるいは、たまたま作戦行動の
      間に徒歩なるのが見られることはあっても、少なくとも、
      移動ときには必ず乗馬であった。更に、彼らは完全武装
      で戦った、攻撃兵器としては槍と剣、時には鉾、防御兵器
      としては、頭部を防御する兜、体を覆うものとしては
      全身あるいは身体の一部分を覆う、鎖帷子、更に手に
      三角形か円形の楯」(マルク・ブロック)



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            (バイユーの綴れ織 11世紀製作)
        この綴れ織のテーマはノルマンディ公ーウイリアムの
        英国征服物語である。
      中世歩きのごく初期の頃、ノルマンディーのロマネスクを
      訪ねた折り、バイユーを訪ねました。戦場の一シーン。
      非常に緊迫感があります。シーンごとに絵解きがあります。
      手には槍、体には鎖帷子のようなものを纏っています。
      まるで、映画のワン・シーンを観ているようです。
      (騎乗の騎士はウィリアム軍)

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        (ロッシュのお城 アンジュー伯が築かせたという)

       さて、この中世における騎士といえば、チャンチャンバラバラ
       ただ騎乗で戦ったに過ぎない存在に見えますが、実はその存在は
       はなはだ、奥深いものがあります。

       中世ヨーロッパの封建社会を考える場合、この騎士社会は無視
       出来ない。彼らは上は王や大諸侯、下は下級騎士という幅広い
       地位だったと言われています。

       ここでは、深入りしませんが、重要なことは、彼らは貴族
       の一員だったということでしょうか。
        
                    (巻頭の言葉は「封建社会」 マルク・ブロック著 新村猛他訳 
       みすず書房)
        (画像はすべてyoku撮影)     


「12世紀ルネサンス」を歩く(番外編)



       「12世紀の復興は、カロリング・ルネサンスと違って、宮廷や
        王朝が作りだしたものではなかった。またイタリア・ルネサンスと
        違ってこの復興は、一地域で開始されたものではなかった。
                               (ハスキンズ)
        
                    ハスキンズはこの本「12世紀ルネサンス」の序言で、「この時代
       (12世紀)はロマネスク芸術が全盛期を迎え、ゴティク芸術が開始
       され、俗語(自国語文学)が出現し、ラテン的古典やラテン詩ローマ
       法がよみがえり、、、と述べています。
       

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             (アーヘンの礼拝堂)      

     カロリング・ルネサンス(9世紀)の本拠地アーヘンのカール大帝
     の礼拝堂
            (アーヘンはカロリング朝の宮廷が置かれ、シャルマーニュ(カール大帝
     滞在した古都である)

            ハスキンズはこの本の中で、(上記のルネサンスは)9世紀の学問と文学
    の復興と述べている。             
     


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            (シャルトル大聖堂)
                    12世紀・ルネサンスの具体的例としてハスキンズは
            シャルトルの司教座聖堂学校をあげている。
      
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               (イタリア・ボローニアの大学付近)

         12世紀に設立されたボロニア大学についても言及している
         「大学は文明に対する中世の貢献であり、とりわけ12世紀の
         貢献である」と。 

         彼はまた、「ボローニヤは諸大学の母であり、北部におけるパリ
         のように、南ヨーロッパにおける高等教育制度の産みの親であった」
         とも述べています。 
      

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    (イタリア・ルネサンス(15世紀)の発祥の地、フィレンツエの大聖堂)

     ヨーロッパ中世のルネサンスといえば、まずここが思い浮かぶ。
     歩きはじめの頃、ここに良く通った(注 これについても12世紀
     ルネサンスとは関係ありません)。
         
     さて、今思えば、各地のロマネスク会堂やシャルトル、ボローニアなどの
     大学都市訪問は結果として12世紀ルネサンスを歩いたことになります。

     ハスキンズ・テーゼの12世紀・ルネサンスについての現在の評価は知り
    ません(ホイジンガなど否定的)。しかし、彼が暗黒社会の中世について
    否定し、再評価した点は(何かで読んだことがあります)評価すべきと思う。

         (注*12世紀ルネサンス ハスキンズ 野口洋二訳 創文社)

                   (写真は全てyoku撮影)


聖女フォアと黄金の座像(番外編)


     このコンクの村を最初に訪れたときの印象は今でも
     忘れられない。教会堂の姿はきわめて幻想的なものであった。
               (この教会堂は霧の多く発生する谷間の村にある)
  
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       (コンクの旧サント・フォア修道院)

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       (聖女フォアの黄金の座像)
       10世紀ごろのもの。
       

      聖女フォアは12歳で殉教したというが、(間近で見た印象は)
     この像はは年老いた風であった。とても12歳には見えない、
     年老いた印象である。

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       (正面の壁面にある神の手にふれ伏す
       聖女フォア)

       こちらのフォアの方が歳そうおう(12歳)の印象が
       ある。

     さて、かってこの黄金の像は土地の人々に多くの奇跡を起こした
    という。
   「聖女の像は内陣から持ち出され、足並みのゆっくりした馬を
    選んで、その上に乗せられる。像のまわりでは若い聖職者たちが
    シンバルをうち鳴らし、象牙の角笛を響かせる。

    像はかってこの地帯が異教の地だった頃の大地母神のように、
    おごそかに、山間の地を進んでいく。そして像の通り過ぎる
    いたるところで、争いはおさまり、平和が戻ってくるのであった」
        (注;エミール・マール・図書刊行会より)

     中世にはこのような聖女像は敬われ霊験あらたかと信じられた
     時代を彷彿させるのである。
     (この像には、聖女の遺物が収まっている)
    

      追記
    黄金の聖女像といえば、すごい物に違いないが、当時としては
    中に収まっているお骨(頭蓋骨)の方が貴重だったと思われる。
    何しろ奇跡をおこす聖人のお骨なのだから。

    その聖遺物(お骨)が収まるまでの経緯が面白い。
    それはアジャンという町で盗まれたものだったという。
    中世といえば、なんでもありの時代。盗むことなど
    何でもない時代。その聖女お骨のおかげで、この教会には、多くの
    巡礼者が押し掛けたという。 、


ヨーロッパ中世の旅人たち(番外編)


     「(中世には)戦士たち、巡礼者たち、商人たち、軽業師たち、
      聖職者たちが、たえずしきりに移動していた」
                         (レーモン・ウルセル)

     ヨーロッパ中世には色んな人たちが旅していたのですね。
     まず目に浮かぶのは、巡礼者ですね。旅の危険な時代に
     スペインのコンポステラなどに巡礼の旅に出ている。

     軽業師
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   「石工はいわば、渡りの職人だった。彼らはしごとがあるところへ
    行って働き、大聖堂の敷地内の小屋に住み、日銭を稼ぎ、、、」
                    (ジョセフ・ギース他)
      石工
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   10世紀後半頃から、多くの教会の建築が始まり、それとともに
   石工が活発に移動、建築に携わった。 

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ヨーロッパ中世ブラブラ歩記予告


 次回ヨーロッパ中世歩きは10月を予定しています。
(注)その間、ヨーロッパ中世に関する諸々を記するつもりです。
 よろしくお願い致します。


中世の町 ヴァンドーム  Vendôme (仏)


      さて、そもそも、私はロマネスクの塔とゴシック見る
  目的のためにヴァンドームを訪ねたのでしたが、ここは
  TGVでパリから約40分の小都市。しかし今でも
  中世の面影が残る雰囲気のある町でした。
    


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   古い城塞が見下ろす、ヴァンドームの中心部。
   ここは11世紀以降、プランタジュネ家など、領主などや伯に
   支配された封建社会を地でいくような歴史を持つ、古い町で
   ある。

        
   

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  この町を流れるロワール川はあのロワール川(Loire)の支流
     Loir川である。一寸横道に入るとなかなか雰囲気がある。

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            洗濯場だろうか。フランスの中世の町や村で見かける。
   
  

      そこはやはり、中世の町、いたるところに中世の建築を目に
  する。

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   古い中世の教会。そして町を編みの目のように流れる小川。
   ヴァンドームの町は散策するには程良い規模の中世の町
   そして横道にそれて歩いてみたい町でした。
  


トリニテ修道院 ②(ヴァンドーム・仏)


    訪ねたトリニテ修道院(三位一体修道院)は、ゴシックとしては最後に
   登場したフランボワイヤン式ものですが(16世紀)、この教会の
   建築の歴史は変遷をたどっている(11世紀~16世紀)。


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           (西正面)   

    


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       メラメラと火が燃え上がるような、曲線を描いた
       形をしている。これが火炎式である。

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          バラ窓の下の窓を内部から見たものである。


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        火炎式の窓枠である。


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        正面横には、ロマネスクの鐘塔がある(12世紀)

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        ここにはかって、ラザロのお墓でラザロの復活を祈り,それが
        成就、涙したキリストの聖なる涙が収められていたのだという。
        それはコンスタンティノーブルから運ばれたものだといわれて
        いた。
        中世には、聖遺物が多くの参拝者を引き寄せた。
        聖遺物の存在を信じるかどうかはともかく、それが中世ヨーロッパ
        の一断面である。

        この修道院教会の建築の歴史はロマネスクからゴシックの最後
        を飾ったフランボワイヤン様式まで建築の歴史の博物館のような
        場所である。

           


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