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番外編 八ヶ岳山麓の今



  今年のゴールデンウィーク、季節の移り変わりを感じるべく?

 八ヶ岳山麓を今年初めて、訪ねた。

 ここは、まだ春には遠く、東京郊外の我が家(東京西部)より

 一か月遅れといった感じでした。



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  目につく野草はまだスミレだけでした。


 八ヶ岳周辺は桜が満開、スミレもやっと顔をだしていた。

 今年は長いゴールデンウィークとあって、温泉やレストランなど

 どこも混みあっていました。

 


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ノートルダム寺院の火災



     昨日、早朝TVの中継で我が目を疑った。ノートルダム寺院の火災、

 驚きとともに、ショックだった。 あの大寺院が燃えていたのだから。

 特に、尖塔があっけなく、崩れ落ちたシーンは深く目に焼き付いている。


 よく、中世の寺院が火災で焼失すると本などで読むと、そんな馬鹿な、

 石で出来た建築が そんなに簡単に焼け落ちることは無いはずと思って

 いたが、昨日のニュースの画像を目の当たりにして以外とあっけなく

 燃えるものだなーと変に納得した。


 それも屋根裏に木材が多量に用いられているわけだから(木組み)、

 それも800年位 経っているわけだから、いとも簡単に燃え落ちるわけだ。

 盲点である。ただもっと厳重に防災設備が整っているものた考えていた。

 貴重な文化遺産なのだから。


  フランス人にとってランスの大聖堂が戦争で破壊(ドイツ軍による)されて

 以来のショックだという。


 火災の現場に駆け付けたマクロン大統領は大聖堂を再建すると述べたとニュースで

 報じているが、それを見守るしかないというのが現実である。

 確かに大聖堂はよく再建されている歴史がある。



 次回は遅くなっていますが、フィレンツェのサン・ロレンツオ聖堂の続きをお送りする

 予定です。



 

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  非常に優美な内部である

  次回はもっと詳しくお送りします。

 

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サン・ロレンツォ聖堂とミケランジェロ


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 ミケランジェロには、いままで、彫刻や絵画などの芸術家としての顔を

 紹介しましたが、彼には建築家としての顔もあります。


 このサン・ロレンツオ聖堂もその一つです。

 そもそもこの設計には、ブルネレスキが深く関わっていますが、

 建物正面はミケランジェロの手によるものです。

 しかし、その建築はメディチ家との対立が原因で未完成におわる。


 その他、彼はこの聖堂の中のいろいろな場所の建築に関わって

 いますが、その中にメディチ家の墓廟や図書館があります。

 入口から図書館に入る所があり、迂闊にも図書館と聞いて

 フィレンツェに来て図書館に何も入ることは無いだろう

 と止めてしまった(その時はこの図書館がミケルアンジェロ設計

 とは知らなかった)という恥ずかしい自分のエピソードがあります。

 墓廟について次回にお送りする予定です。

 



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ミケランジェロ・聖家族 (イタリア・フィレンツェ)


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               ( ウヒツイ美術館にて)

   


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       (部分)

 ミケルアンジェロの最初の絵画作品といわれている。

  身体をねじりながら、肩越しに、聖母が幼児キリストをヨセフから受け
 取っている姿に非常に興味を覚えます。


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  (部分)

  後ろには、幼児の洗礼者ヨハネが描かれています

  そして裸の青年たち。 

  

   

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ミケランジェロ② (フィレンツェ・イタリア)


   ダヴィデ

  前にあげた、羽仁氏は次のようにも述べている。

 「身には一糸もつけず、まっしろの大理石のまっぱだかである。

 そして左手に石投げの皮を肩から背にかけゴリアを倒すべき

 石はしっかり右手ににぎっている。左足ははまさにうごく。

 見よ、彼の口はかたくとざされ、うつくしい髪のしたに理知と力とにふかく

 きざまれた眉をあげて目は人類の敵を、民衆の敵を凝視する」と。

                          (原文のまま)

(注)ゴリアはゴリアテと思われる

                         

  

 過去にダヴィデ像を見たとき、何を見てたのか?

 単にぼーと全体像を見てたに過ぎなかったのだ。

 羽仁さんの話に従って、もう一度見てみよう!


 


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 確かに左に石投げの皮、右手は石を握っていたのだ。

 (石の形は見えないが、、、手の形がそれと分かる)


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 そして氏は「左足は動く」と左足まで予測していたのだ。



 これで、やっとダヴィデ像を見たことになる。

 


 これで本棚に眠っていたミケルアンジェロという本も読んだことになる。

 何十年振りかに、、、。

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ミケランジェロ(フィレンツェ・イタリア)


   ゲントからフィレンツェへ戻ります(続編)

 「世代的にレオナルド(ダ・ヴィンチ)に後続し、ルネサンス芸術の完成を

  彼と競ったミケランジェロ・プオナローティ(1475-1564)」(注1)


 次に今年の先頭を飾って、ミケランジェロをお送りします。


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    (ダヴィデ・フィレンツェ アカデミア美術館にて) 


 「ミケランジェロは、いま、生きている。うたがうひとは、「ダヴィデ」をみよ。

 ダヴィデは少年である。かれが怪物ゴリアを倒す決心をつげたとき、ひとびとは

 かれをとめた。が、確信をもったかれは、一本の石投げに石をもっただけで、ゴリア

 にむかって行った。そして、少年ダヴィデはついに怪物ゴリアをたおした」(注2)

                                                                        (原文より)

 この有名な像を見に再訪しました。やはり多くの人が詰めかけていました。

 (一昨年の秋)

 ミケランジェロしばらく続きます。


 (注1:西洋美術史 美術出版社 注2ミケルアンジェロ 羽仁五郎 岩波書店)

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キーワードで歩くフランドル都市(ゲント・ベルギー)



  フランドル都市であったヘントの第一のキワードをあげるとしたら

  やはり川だろう。この川のためにゲントは中世にポルトウスとして

  栄えた。


  「レイエ河とスヘルデ河が合流し、古くから交通の要衝として栄え、フランドル伯

  の主要な居城が置かれた、、、」(注)

  

     市場

  次のキーワードはに市場だろうか。旧肉肉市場だった(現在レストラン)大きな建物(右の建物)が

  見られます。

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 (古い魚市場もあるらしいが残念ながら、訪ねることが出来ませんでした


 


 


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 中世ゲントでは、が開かれ、賑わっていたという。

 たまたま歩いていたら、市に遭遇。中世の市もこんなふうだったのだろうか?


 フランドル伯の居城もやはり無視出来ない。


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 聖バーフ大聖堂もキーワードの上位にランクされる。

 上記本には、「高まるパヴォの名声がヘント(ゲント)全域の発展に貢献した」とあります。

 やはり、中世ヨーロッパでは、教会の威光は重要である。

 この都市も例外ではありません。


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  市内の夜景。

 ゲントを訪ねるために、パリからリール経由で行く予定がベルギーのストに会い、その日は

 断念し、改めて訪ねましたがやはり訪ねて良かった。フランドル屈指の中世都市だという

 ことが分かりました。またいつの日にか訪ねたいと思ったことでした。


 (注:中世フランドル都市の生成 山田雅彦著 ミネルヴァ書房 この書籍は

  フランドル都市全般について書かれていますが、ヘントについても沢山書かれている

  専門書ですが、自分のようなフランドル都市の専門でないものにも非常に参考になり

  ました)

 

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神秘の小ヒツジ祭壇画 (ゲント・ベルギー)

 

   「約束にとらわれず、みえるものを、みえるがままに表現

   することが出来たのだ。かくて、一群の細部が聖画面の

   がっしりした骨格を、ゆたかにつつむ、、輝く宝のように、

   女が、その衣に飾る花のように」

                 (ホイジンガ)




     今回のゲントの旅の最大の目的は、ゲントの祭壇画を見ることでした。

 






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   (聖バーフ大聖堂)




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        (神秘の小羊祭壇画  1432年)

        ( ヒューベルとヤンのファン・エイク兄弟、中央パネル)


    (上段)の中央に神、その左右に聖母と洗礼者ヨハネ、その側に奏楽の天使 両端に

    アダムとイヴ


    (下段)には様々な人々の群像が本当に微に入り細に入り、詳細に描かれている

   

     開かれた祭壇画である


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     (下段に神秘の小羊を中心に様々な人々)



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            奏楽の天使とイヴ


  巻頭の言葉の作者はこんな言葉も述べています。

 ついに、聖なる事物の絵画表現は、細部描写と自然主義の段階に到達したのである

 と。

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  堂内を飾る絵画の中にルーベンスの絵がありました 



  15世紀には、祭壇画が多く見られるようになったといわれるが、この

  有名なゲントの祭壇画はてっきり祭壇の側にあるのかと思っていましたが、

  閉じられた部屋の中にありました(入場料が必要)。



  (巻頭の言葉はホイジンガ 中世の秋より 堀越孝一訳 中央公論社)

    

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旅のハイライト ゲント④ (ベルギー)


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 さて、次に今回の旅の最大の目的だった寺院に橋を渡って向かいます。

 この町は若者のまちだとどこかで読んだ記憶がありますが、今気が付きましたが、

 画面を見ると、確かに若者が沢山目につきます。

 そう、ここは大学の町だったことを思い出しました。

 確か最初に引用した中世ヨーロッパの大家、ビレンヌもここの大学の先生では

 なかったか?(彼はビレンヌテーゼで知られる)。

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ゲント③ フランドル伯居城を歩く (ゲント・ベルギー) 

 

  「ブリュヘとヘントでは、伯の居城の外側に商人定住地、ポルトウスが形成された」

                (エーディト・エネン)

            *ヘント(ゲント)

              

 

   フランドル伯居城をブラブラ歩きして来ました。


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 ドイツなどの中世のお城は昔、ライン川下りをした際に見ましたが、山の頂にポツンと

 見えたものでしたが、このように都市の中にあるのは、やはり驚きであり貴重な体験で

 した。



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   ヨーロッパのお城で見られる狭間がここでも見られる



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 周りは川(レイエ川の一部と思われます)に囲まれています。天然の要塞といった趣です。


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 お城の中から、ヘントの市街を見る。街並みが間近に迫っています。

 このお城がいかに街と一体だったか分かります。


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  中に礼拝室があります。意外に思われるがヨーロッパの中世にあってはこのような

  施設があっても何ら不思議では無いのかも知れません。



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    柱頭 ?

 ゴシック建築の回廊などに見られる柱頭のようなものが見られます。


  さて、フランドル伯の居城を見て来ましたが、この伯はブリュージュを中心に
 このお城など各地の自分のお城を移動していたらしい。ただ一つのお城に立てこもって
 いただけでは、なかったのですね。興味深いところです。 


 (巻頭の言葉は、ヨーロッパの中世都市・岩波書店より)


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