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サンタ・ノベッラ教会③(フィレンツェ・イタリア)

                      
                                 緑の回廊
  
     

   入口から一歩中庭の「緑の回廊」と呼ばれている世界に入ると
   ,街のざわめきは一度に消えてしまう感があった、、、。

   

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  昔読んだ本(注)のなかのいっせつがずーと頭の中にありました。
  これがまさにその回廊なのだと感慨もひとしおでした。



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 アルノ川の氾濫などで、この回廊の壁画も水を被ったということで
 絵もかなり痛んでいますが、私にはかえってそれが教会内部の絵と
 違う存在感がありました。妙にインパクトがあります。


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    今回ここは二回ほど訪ねましたが、あちこち見たあとゆっくり一息つきながら、
    数々の名画に浸るには絶好の場所なのではと思ったことでした。 


    (注*石と光の思想 勁草書房)

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サンタ・ノベッラ教会②(フィレンツェ・イタリア)


   さて、入場料を払って堂内に入りました。

  中では、美術館と見まがうほどの絵画で埋め尽くされていました。
   (紹介した作品は極く一部です)



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  身廊部のジョットの[十字架上のキリスト]
 一番目の付く場所にあるだけに、目を奪われます。



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 ”絵画における新芸術のルネサンス様式の確立者の位置に立つ人”
 といわれる(注)マサッチオの[三位一体]。遠近法を確立、
 駆使したものという。

 マサッチオは27歳で亡くなったそうである(注 同上)




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    「玉座のキリストと聖母と聖人たち」
      アンドレア・オルカーニャ作
      祭壇画である
      (ストロツィ礼拝堂)


 



       



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    アンドレア・ダ・フィレンツェ 「教会の伝道と勝利」

         (スペイン人礼拝堂)

  

  数々の壁画などに圧倒されたこの教会堂でのひと時でした。
  
  次に回廊に向かいました(続き)



    (注*西洋美術史・美術出版社)










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サンタ・マリア・ノベッラ教会① フィレンツェ(イタリア)


     今年二度目の大雪〈関東地方)ここ東京西部でも幾らか積もった。

  自分も自宅前の道路の雪かきをやった。
  前に比べて幾分楽でした。慣れたのかな。

  さて、ここからは、前からの続きのフィレンツェ歩き、に戻ります。
  その前にカタルニアのことを。

  例の独立問題の話をもうちょっと。

  カタルニアの歴史に足を突っ込んで、そのことを、多少考えるように
      なりました。 

  そのうえで、ここは大いに考えさせられました。

  というのも、カタルニアの歴史は非常に重く感じられるのです。


   一国の歴史といってもいい位の重さです。

  というのも、そのきっかけはカール大帝が設置したスペイン辺境領
      についてです。

  712年ににイスラム勢力に占領されるもシャルマーニュに征服され、
     イスパニアのマルカつまり辺境領になるわけです。それからのカタル
     ニアの歴史に自分は非常に
  興味を覚えます。その辺は長くなりますので、省きますが、ここには
     れっきとしたカタルニア語という独自の言葉をもっている上にカタル
     ニア公国を持った歴史もあり
  国という資格は十分あると思えますが現実問題となると、、、です    
  これからもここの独立問題には関心をもって見守りたいと思います。


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  フイレンツエは前に書きましたように数回訪ねていますがここサンタ・マリア・
  ノベッラ教会は訪ねていませんでした。いつかはと思っていましたが、今回
  実現しました。数年前亡くなった文芸評論家でヨーロッパ中世の文化について
  造詣の深かった饗庭孝雄さんが、ロマネスク・ゴシックの白と黒の大理石幾何
  学模様の典雅な印象を与える正面の入り口から一歩中庭の緑の回廊と呼ばれる
  世界に入ると記されていますが、私はどうやら別の入り口から入ったようです。
  それはともかく中に入ってみようと思います。


  


    



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       この塔と下部の建物はロマネスクとゴシックを象徴しているようです、、、。


     ( 次回に続きます)

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カタロニア周遊⑥バロセロナ (スペイン)


 カタロニアといえば、やはり ここは見逃せない。 

 カタロニア周遊の旅、 最後はここ、 サグラダ・ファミリアになりました。 

 ここの建築進捗の状況が気になります。

  

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 やはり、ファサードは見学する観光客で賑わっていました。

 中世においても、やはり(カテドラルなどの)工事の進捗の関心は
(見物人の数は違っても)高かったのではと思います。


 今のところ、完成は2026年頃と言われているそうですが、、、。

 とすると後8年ということである。

 その通りに工事が完成すると開始後136年ということになる。
 (建築を取り仕切ったガウディは1926年に亡くなっている)
 長い年月に思えるが、ミラノ大聖堂が259年 ケルン大聖堂が632年掛かって
 いるから、それほど時間が経っているともいえないことになる。


 ただ興味があるのは、中世には都市の市民が自分の町のカテドラルの完成を心待ちし、

 おらが町の大聖堂が完成するのを長い間待ち望みするものの、多くは
 生きている間に完成をみることはなかった。
 その工事の費用は勿論、大部分は信者たちの寄付に寄っただろうし、費用を集める
 のも大変で工事はよく中断したのである。
   
 



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 30年前

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  これは自分の二回目の見学(30年位まえ)のフイルムによる記念写真である、
  このころは見物人もそれほど多くなかった気がします。



   15年前

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   これは15年位前、自分で写した写真です。今とそれほど変わらないように思える

 外の喧騒と打って変わって、中では日曜礼拝が静かに執り行われていました。



      ガウディここに眠る


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                          (  ガウディのお墓)


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    現在

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 これが2017年(昨年秋)のサグラダファミリアである。


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              (掲げているのはスペインの国旗か)

 
 ここを訪れたのは、独立宣言二日後のことで、この人達は独立反対派?では
  ないかと思われます、



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 聖堂の近くのビルの窓からは独立賛成のカタロニアの旗(注)が掲げられています。
 賛成と反対の数は拮抗している。
 独立するのか、否か全く予断が許さい状況である。
 (独立への道が厳しいことには変わりがない)

 注)この旗の原形の起源は9世紀末のヒスパニア辺境伯ギフレ多毛伯にさかのぼるという。
   (勿論、星抜き)
 (カタロニアを知るための50章 明石書店)

   

 (参考  カタロニアへの目 刀水書房 、ゴシック美術 学習研究社  )

 


 

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カタロニア周遊⑤ビック~バロセロナ(スペイン)


   

  一泊二日の旅、宿はバロセロナ近郊に取った。バロセロナに近く、夜市内で食事を取った。
 
  翌朝、あたりはこんな光景だった工場地帯の趣がある。


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   "カタロニアはスペインの工場"という言葉があるそうですが、

   ここは正にそんなことを思い出させる風景である。
   どこまでも工場がつづいている。一説によると、現在のカタロニアは
   スペインの国内総生産の約20パーセントを占め、最も経済規模の大きい
   自治州だそうである (2013年頃)注①)


   そして面白い光景に出くわした。

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 人が入って行くところについていくと


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 そこはこんな墓地である


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  小さい区切りが個人のお墓である。それぞれの名前がついていました。


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 許可をもらって入った墓地だったが、興味深いところでした。
 そして最後の訪問先バロセロナに向かった。

  (注①参考 カタルーニアを知るための50章 明石書店)




  



  



 



 

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カタロニア周遊④ ビック ロマネスクの面影(スペイン)

                

   ビックの町歩きは大聖堂や美術館の見学で締めくりました。

 大聖堂の横についている鐘楼はロマネスク様式である。
 そのロンパルディアの装飾にロマネスクの面影がちょっぴり残されています。


 本堂の方は後年、残念ながら、現在の姿に変えられた(1781年)。




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 本堂に入ると


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        (大聖堂 ファサード)

                  

 


  中に入ると

  内部は黒を基調としており



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 一風変わった印象を受けました


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                (  セルト作の壁画?



 壁面も比較的新しい時代の作品で飾られていました。



 そして隣の博物館へ

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        マリアのエリザベト訪問だろうか
     



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  最後に大聖堂の近くの博物館を見学。


 ピレネーのどこかのロマネスクの壁面から剥がされて持って来たと思われる

 フレスコ画や木製のキリスト像や聖母を見学。

 
 彩色されたその姿に木の持つ温もりを感じたものでした。


    

   ×

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カタロニア周遊③ビック(スペイン)


  ”約1000年のあいだ、その歴史は、隣国の歴史に束縛されたり
  統合されたり同化されたりしてきた。

  国家を持たないため、カタルニアのほかの国家の一部を成さざるを
  得なかったのである。”
             (M・ジンマーマン M=ジンマーマン)(注)



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    中心の広場から横道に入ると、かなり古そうな建物が見えて来ました。


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    入口の天井もアーチ型になっている



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   ”カタルーニアは、ローマ人の征服の中心の一つであった”と巻頭の言葉の著者は
   述べています。


   
 しばらく行くと



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        (ローマ時代の神殿 2世紀)

   ほとんど建築時のまま残っているといわれているが、意外と小振りである。
   旧市街の一角にすっぽりと収まっている(中には、入れなかった)。 



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  カタロニアはギリシャ人が入植して以来、カルタゴ、ローマ人が渡来してきた
  重層の歴史がある。そして西ゴート人、ゲルマン人(フランク人)アラブ人
  と続くわけである。


  (注:カタルーニアの歴史と文化 白水社)


  (この項つづく)

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カタロニア周遊② ビックVicへ


  このような街中のロマネスクや

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         (Igresia de San Pedoro de Abrera)


   


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  この様な荒々しい壁の建設原初の姿を留めている別のロマネスク等を観て
  中世の町、ビックに到着。



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  Vicの広場

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  ビックの広場に面した建物の窓には(10月27日の)独立宣言
  祝うカタロニアの旗が見られた(現在はまだカタロニア州の独立
  宣言は違憲としてスペイン政府は認めていない)。


      カタロニア独立の見通しは立っていない、、、。

   (この項続く)

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カタロニア周遊 ①( スペイン)


 周遊といっても、目的はカタロニアの1地方都市



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 まずは前に訪ねた聖なる山モンセラットでした。同行した娘夫婦は初めて
 ということで立ち寄ることに。

 しかし土曜日ということで、多くの人が車を連ねて訪ねており相当な混雑、
 山の頂にある修道院を見ることは断念降りることに。車の行列を離れました。


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娘が車から目にした村で、何やら人が集まっているというので、立ち寄って食事でもということで
停車。

なにやらお祭りのようです。ここで、屋台で買ったソーセージなどを食し、舌鼓を打ちました。

見物したお祭りはカタロニアの名物の"巨人の行進"?(男女のカップルによる)のようでした。
思わぬ出し物にひと時の見物でした。そのあとロマネスクなどを巡りました。


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 さて、

   今年も11月になり、せわしい季節になりました。

 先々月(10月28日)前から計画していた(パリからの)カタロニア行を決行その日は
 きしくもカタロニア議会の"独立宣言"採択の翌日になってしまいました。

 バロセロナ空港は多少混乱しているのではと心配はしましたが、もう
 決めたことと行くことにしましたが、何事もなかったような空港の
 雰囲気でした。しかし一泊二日の慌ただしい旅行ではありましたが、、。

 空港でレンタカーを借り、運転の苦手な自分に代わり娘婿がパリから同行して
 向かった先はビックVicでした。次回からそこを詳しく。


 


           

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フィレンツェ Firenzeの秋 


                  花の聖母 サンタ・マリア・デル・フイオーレ
                       Santa Maria del Fiore 


 フィレンツェの町は黄金色に染まっていました


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      ルネサンスが花開いた中世の町 フィレンツェの象徴である

            サンタ・マリア・デル・フィオーレ



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       まずドゥオモを訪れました


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ドゥオモ 


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   大円蓋と 最後の審判




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                                                   最上段にキリストが鎮座している

                  のが見える そのしたには、聖母子の姿が

          


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                ヴァザーリによるフレスコ画

    天国と地獄絵図が展開されていました
         (左下には審判者?キリストが)


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        ” 花の聖母”とは裏腹に、厳しい裁きが


    
               

     天国だろうか?   平和な光景が
     しかし、その下では悪魔が待ち受けている


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  地獄?  おぞましい光景が



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     魑魅魍魎の世界が、、、


 最後はこんな姿に
 


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 そして天国

     

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天井画は参拝者への戒めであるとともにメッセージであった  

                ヨーロッパ中世とは、厳しい掟(おきて)の社会であり、
     また、己を律する社会でもあった。

  


     それにしても高くて、広い天井に描いた壁画。

     ため息が出る。  

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